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ある日、消えたVtuberが実は俺のばあちゃんだった件について。⑧

一刻も早く。ヒナタを止めねば。
竜胆モモが消えてしまう。動け! 動け! 俺の足!

「せいぜい、特等席で大好きなVtuberが崩れていく様を見てなさい」
 ヒナタは前を向き、カメラの方へ足を踏み出す。

 オレンジ色の光が教室に差し込み、背中を向けられた姿に沿って影が伸びていく。
 その光景があの日と重なった。

「ごめん、今日はモモの配信があるからまた今度な!」
「……そうだよね。急にごめん。また今度ね!」

全てが夕日に染まったあの日を。
髪を右耳にかけ、無理に作った笑顔を。
二度と振り返ることのなかったその背中を。

あれはきっとヒナタなりのSOSのメッセージだったはず。

だって、ヒナタは《《嘘をつくとき》》髪を右耳にかけるのだ。

「あ」

 そのとき、口から飛び出した言葉は懇願ではなかった。それは謝罪だった。

 ヒナタの背中越しに、俺は喉が張り裂けそうなくらい大声で叫ぶ。
「あの日、助けられなくてごめん!!!」
 あまりの大声に驚き、思わずヒナタは振り返る。

 俺は膝をつき、頭が地面に減り込むくらいの土下座をした。
「今更、謝っても許されないことだと分かっている!」

「だから! これが俺の覚悟でけじめだ!!」
 頭を上げてカバンをひっくり返すとザラザラと竜胆モモのグッズが床に散らばっていく。

 俺は手ごろなサイズのフィギアを一つ取り――乱暴に床に叩つけた。
 激しい音と共にそれは無残にも粉々に砕ける。破片が波紋のように広がる。
 細かい破片が刃となり、右手に鋭い痛みが走る。血だ。

「はぁっ!? 何やってんのよ? それはあんたが一番大切にしてきたモノじゃないの!?」
「これで許されるなんて思ってない! だからお前の気が済むまで俺は壊し続ける」

 次のフィギアを手に取り、同じように床に叩きつける。手の先から全身に振動が伝わっていく。痛みはさらに強くなる。破片が右頬を掠り、血が流れる。波紋はさらに大きく広がる。

喉が張り裂けたっていい。血が流れたっていい。この手が使い物にならなくたっていい。

大切な人を蔑《ないがし》ろにして――

「そんなんで、竜胆モモファンを名乗れるか!!!」

 三つ目のフィギアを手に取ったとき、一瞬ひるむ。

 これは竜胆モモ一年目生誕祭の……。頬に温かいものが流れたような気がした。
 関係ない。俺は大きく振りかぶった。

 前から硬いもの同士がぶつかるような耳をつんざく音が聞こえた。
 ぼやける視界に細い手が飛び込んできた。その両手は震えながらも振り下ろそうとした手を必死に抑える。

「……ばっかじゃないの。もういい」様々な感情の混ざり合った声が耳元で揺らいだ。

「けど――」

「もういいから」座り込むヒナタもまた頬が濡れていた。

吉岡ヒナタはいいやつなんだ、本当に。
 

 何も言わなくなったヒナタを気まずく思った俺は、助けを求めるようにすぐるを見る。しかし、すぐるは口パクと指差しで何かを必死に伝えようとしている。

『は、い、し、ん』

「はいしん?」

 ゆっくりとすぐるの指先へ目を向ける。
 赤いランプがヒナタの肩越しから光り、こちらを捉えている。

「あ」最初は間抜けな一言。それが波となり一面に広がっていく。

「ああああああああああ!!」

 見事に配信にのった俺は別の事件に巻き込まれることになる。
 だけど、それはまた別のお話し。

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ある日、消えたVtuberが実は俺のばあちゃんだった件について。⑦

ま、間に合った。

 ばあちゃんの家が近いとは授業終了後の往復ダッシュは、普段から運動していない体にはくるものがある。今日が体育のある日じゃなくて本当に良かった。
 激しく拍動する心臓を右手で抑えながら、左手で壁につく。ずるずると肩にかけていたカバンを落とし、ぜぇぜぇと息をする。

 すぐるが溜息をつきながら近づきスマホを渡してきた。それは万が一のために、預かってもらった俺のスマホだ。
「ハラハラさせんなよ、マジで。で、例のブツは用意できたんだろうな」
 小声で囁かれ、俺はバッチリだと親指を立てた。

教室の前方は机や椅子が乱雑に集められており、後方だけがぽっかり空いていた。
まるで舞台みたいだなと思った。でも、前みたいにはいかない。ここが俺の独壇場だ。

 いまだ女王様のように足を組んで椅子に座るヒナタの表情に変化はない。まるで虫けらを見るような表情でこちらを蔑《さげず》んでいる。

「遅刻しなかったことだけは褒めてあげるわ」
「そりゃ、どーも」息が上がったままヒナタに近づく。ローズ系の香りがした。

「でもぉ、肝心の依頼料がないとお話にならないわよ?」
 わざとらしく語尾をのばしながら、口を覆いほくそ笑んでいる。

「で、どうなの?」眉を寄せて言う。

 俺はスマホに表示された0が7桁並んだネット口座をヒナタに掲げる。

「あるぞ、金なら」
 
「……なっ!」ヒナタは思わず椅子から立ち上がった。
「ほら口座番号教えろ、すぐに振り込んでやる。100万でも500万でもな」

 ヒナタは目を丸くした。嘘。と小さく呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
「はぁぁぁぁぁぁ!? なんでよ!! ただの高校生が一週間で稼げる金額じゃないでしょ!?」激昂するヒナタの声。
「違うな、ただの高校生じゃない。俺は筋金入りの竜胆モモオタクだ」

ひゅうと口笛を鳴らしたすぐるに対してヒナタは唇をかみしめて、きつく睨んだ。

「だったら何よ!」
「オタクっていうのは何でもコレクションしたがるものだ。たとえ、それがSNSのどうでもいいようなつぶやきでもな」
「NFT……ええと、なんと説明すればいいんだ? 簡単に言えば電子データに価値を見出せば値段がつく」

 同じオタクだからこそ分かることがある。界隈の連中はよく言っている。
 『推しの全てのつぶやきを追いかけたい』と。その気持ちは痛いほどよく分かる。
なんせ、SNSの過去データは、ある一定までしか残らない仕様だ。消されたデータも修復不可能ときている。それゆえに欲しがる人が一定数存在するのだ。

 例えば、途中から参入した熱狂的ファンとか。

 地下アイドルがメジャーデビューして気軽に会えなくなったとき、デビュー前からのおっかけだったファンはその価値を誇る。
 なぜなら、彼女たちがまだ拙いとき一番近くで応援していた。その経験は新規にとって永遠に手に入らないものだからだ。

「一般人にとっては竜胆モモの全つぶやきなんて、どうでもいいかもしれない。でも熱狂的なファンにとって、それは喉から手が出るほど欲しいものに変わる」
「だからこそ、そこに価値が生まれ値段がつくんだ」

 俺は最初期のオタクで幸運だった。
 その気持ちに激しく同意して、いつでも見返せるように彼女のSNS上に残したつぶやきは全て保存してあったのだ。

「そしてついさっき、売れたんだよ。全部で日本円にして約一千万円」
「そんなの嘘よ! 買うわけがない!」ヒナタは激昂し声を荒げる。
「吉岡は知らなかったかもしれないが、実際トゥイッターの創始者の最初のツイートは3億で落札されてんだ」

「お前がすげぇめんどくさいオタクで良かったわ」
 一連の流れを傍観していたすぐるが腹を抱えて笑ってる。

一応、聞くが褒めているんだよな、な?
「で、どうするんだっけな?」すぐるは皮肉たっぷりにヒナタの言葉を真似して返した。
 俺は左手をすぐるに向け、これ以上余計なことを言わないように御した。

 しばらく悔しそうにスカートを握りしめていたヒナタを見て、俺は言葉をかけようとした。けど直後に彼女の狂った笑い声でかき消された。

 笑い終えるとヒナタは仁王立ちで俺に向き合う。
「言ってなかったけ? あたし現金じゃないと認めないわ。だってギャラは現場で手渡しだったから、ごめんね。言い忘れてたみたいで」
 髪を右耳にかけながら、ヒナタは眉を寄せて口元に手をあてて笑った。

これは嘘だ。反論しようとしたすぐるを抑えて何も言うなと目配せする。

なんだ、何が目的だ。思考を巡らせろ。今度は、今度こそは、失敗は許されない。

 何かを考える俺を見て、ヒナタは俯き「ばっかみたい」と小さく呟いた。一瞬、それは誰に宛てた言葉なのか。俺は気をとられてしまった。

 ほんの数秒だったが、その隙を見逃すほどヒナタは甘くなかった。

やっと答えにたどり着いたときには、もう遅く。

「時間切れ、ね」

 自分のスマホを取り出し、画面を俺たちに見せてくる。
 ポップな色で見やすいように工夫された『ヒナチーチャンネル』が映っており、既に生配信開始の待機画面になっている。

 画面中央に表示され減っていく数字は恐らく、カウントダウン。
 配信開始まで――1分を切るところだった。
  

「おい!」
 咄嗟のことで動けなくなる俺とは違って、状況を判断したすぐるはスマホを奪おうとする。

「動かないで」ぴしゃりとした声がその場を支配する。

「ここ、見える? 机の中にカメラを設置してあるの。その位置ならカメラは映らないけど少しでも動いたら保障できないわ」

 ヒナタは身体をずらして机を指し示す。ちょうど後ろの机の中にキラリと黒光りしたレンズが見えた。

「顔に限らず声だけでも配信にのれば、うちの特定班は怖いわよ?」身を持って知ったけどね。と吐き捨てた言葉と共にゆっくりと動きだす。
 脅迫されたときのように眉を寄せ、どこか違和感のある冷酷な笑みを浮かべる。

あと――30秒。

いや、そんなことよりも早く。早く。ヒナタを止めなければ! でも、どうすれば!

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ある日、消えたVtuberが実は俺のばあちゃんだった件について。⑥

復讐するためには準備が必要だった。
 
 あたし吉岡ヒナタは借りた教室の鍵で、一足先に三階の空き教室を訪れていた。

 そこは普段使っている教室と何ら変わりはない。
 ただ、しばらく使われていなかったため、無造作に置かれた机や椅子はうっすらとホコリをかぶっている。前方には壁時計があり、時刻はちょうど17時を示していた。カーテンは外されており、窓から差し込む光はすごく眩しい。

 あたしは制服のポケットから二台のスマホを取り出した。事務所から支給された仕事用とプライベート用のだ。

 汚れが一番マシな机を選び、撮影する場所を決め、仕事用のスマホを配置する。
あくまで一般人の顔は映らないようにカメラの位置を微調整して、何度も確認を重ねる。

失敗は許されない。今日彼らの前であの動画を生配信で公開する。

 次に『ヒナチーチャンネル』の生配信の設定を行った。これで自分のスマホで遠隔操作すれば、自動的に配信始まる段取りになっている。更に続けて自分のSNSを全て使用して最大の告知する。

『今日は生配信でみんなにわたしの恥ずかしいところを見せちゃいます!!!18時ぐらいからからやるよ!期待して待っててね!』

 あたしはそこまでの準備を終えると大きく息を吐き出した。

 一週間で百万なんて我ながら呆れてしまう。駆け出し女優のあたしは養成所のレッスン料、スキンケア代でギリギリだ。

そんな大金、ヤンキーもどきとキモオタクにできるハズがない。なんなら10万円も無理だったかもね。

 呑気に考えながら適当な椅子に腰かけ足を組む。もちろん、これもホコリまみれだったのでキレイにしてからね。

 生配信する理由は二つある。
 一つ目は『恥ずかしいところ』なんて言っておけばファン以外も勝手に食い付く点。
 二つ目はさらに生配信はやり直しができない点だ。そこが狙い目だった。

そう配信事故に見せかけてあのVtuberの動画を映し出すの。

「ごめんなさい!!間違えました」って本当は違う動画を見せるハズだったんだって、目元に涙を浮かべてあげる。

好きなんでしょ?こういうステレオタイプの女が。

いいわよ。特別に演じてあげる。

あたしはそれだけでいい。

 噂は噂を呼び、やがて燃え上がるのだろう。それでいい。たちまち、注目の的になるでしょうね。

Vtuberなんて所詮はこんなものだと世間の夢を覚まさせてあげるだけ。

 自分のスマホをさわり、『吉岡ヒナタ アンチ』で検索する。そこにはいつものようにあたしを責める文字の羅列が並んでいた。

最初はあたしが出演したドラマの感想を目的だった。
だってふつう気になるでしょ?
マネージャーからはエゴサーチはSNSだけにしておけと言われた。
あたしは最初、それがどういう意味なのか分からなかった。
だからかな。言いつけを守らず検索してしまった。あたしが悪かったのかな。

深淵(しんえん)を覗いた先にあったのは闇。

 【吉岡ヒナタ】は匿名性をいいことにネットの掲示板で叩かれていた。

『ヒナチの配信見た?アレは酷かったよなwww』
『ドラマから分かってたことだろ』
『リアルで見たことあるけど、ブスだったわ』

これ以上は見ていけないと全身が警鐘を鳴らす。だけどスクロールする手は止まってはくれない。一つ残らず見てしまった。後悔した。けど、もう遅い。

 それから毎日、書き込みが増えていないか確認する癖が抜けなってしまった。見れば必ず後悔するのに、見ないと安心で眠れない。矛盾してる。そんなことあたしが一番よく分かっている。

 頭には書き込みがちらつき、上手く演技することができなくなっていく。それに比例してスレッドは苛烈さを増していった。

 そうして、とある書き込みがされた。

『生身の人間でやるなよな。まだVtuberの方がマシじゃね?』

 その言葉を見たとき、あたしの心の何かが糸みたいにプツンと切れた。憎悪は、これで二度目。

 あたしは努力に努力を重ねてここにいる。
 過酷なダイエットだって、厳しすぎるくらいの生活リズムだって、発音練習も演技指導も全部やった。あたしは全てを晒しながら活動している。ストーカー被害も、刺されそうになったこともあった。

 それなのに、なんで、なんで、バーチャルに身を包んだだけの一般人ががもてはやされるの!?

 あたしはあたしがこれ以上傷つかないように良い子ちゃんの仮面を被った。何も見ないようにしていた。

 なのに、あいつが動画を見せてきた。
 身体中の血液が沸騰しフラッシュバックする。また、邪魔をするの?

安全圏にいるあなたたちが!これ以上あたしの舞台に上がってこないでよ!!!!

もうなんだっていい、もうどうだっていい。

引きずりだしてやる。手元の動画に映るVtuberが誰かなんてどうだっていい。

廊下側から聞いたことのある男子生徒の荒げた声が聞こえてきた。
現実に引き戻されたあたしは、スマホに18:00と浮かび上がったを確認すると、スカートのポケットに忍ばせた。

やってきたのは一人。それも息を切らしたヤンキーもどきだけだ。

 その瞬間、あたしは勝ちを確信した。隠したスマホを気が付かれないように力一杯握りしめる。

「待った!」

 現れた声の主によって、あたしは信じられない光景を目にすることになる。

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ある日、消えたVtuberが実は俺のばあちゃんだった件について。⑤

涼しくなってきた時期とはいえ今日は日差しがよく、歩けば内側から汗が滲み出る。

火照る体にまとわりつく鬱陶しさを感じ、クーラーをつけてその場に座り込んだ。

月曜日から木曜日までは金を用意するのは無理だと考え、祖母の家で公式アカウントのパスワード探索をしていた。

PCの暗証番号をメモしていたくらいだ。どこかには必ずあるはずだが、とうとう見つからなかった。


金曜日の今日はさすがに他の作戦を考えないと間に合わない。

すぐるの提案を受け入れ、俺の部屋で会議が行われていた。


「あの女、まじムカつく。オレの清純派美少女への憧れを返せ」

「黒髪ストレートは男子の夢だろうが」

月曜日から同じ内容の苦情を何回聞いただろうか。すぐるはヒナタに強い幻想を抱いていたようだ。

「お前はなんで落ち着いていられる? 裏切られたんだぞ」

「いや、昔はあんな感じだったんだし、俺としては逆に清純派と言われている方が違和感がある」

百合の花のようだとクラスメイトから比喩されている彼女だが、どちらかと言うと、どんな場所でも生き抜くタンポポがよく似合っていると思う。


ただ、状況は最悪だ。

青くなる俺の顔色ですぐるは察したように問う。

「その様子じゃ、交渉も失敗したんだろう?」


本日、期限延長の交渉をしたところ

「はぁ? そもそも女優からタダで技術を教えてもらおうなんて事がまかり通ると思った? 昔と何一つも変わってないんだ!」

「あたしは認めない。先生に相談して空き教室を借りる話はもうしてあるの」

「来週の月曜日の放課後、18時、3階の空き教室よ! 1秒でも遅れたら拡散するからそのつもりで」

横に目をそばめながら、冷たく言い放つ彼女には取り付く島もなかった。

俺は一縷の望みにすがって尋ねた。

「そういえば吉岡ってどれくらいの影響力があるんだ?」

すぐるは自分のバックからノートパソコンを取り出し、操作して画面を見せた。

吉岡ヒナタのアカウントのフォロワーは約2万人。対して竜胆モモのフォロワーは世界中にいるため約70万人ほど。

国を跨ぐ規模ではないが、決して無視できる人数ではない。

デマだと周りが言っても、パスワードが不明な公式アカウントからは反論できない。

わずかな望みさえも粉々に打ち砕かれ、俺は絶望に打ちひしがれる。

「まぁ、今年になって急に人気の出てきた吉岡サンにはアンチも多いみたいだけどな」

より一層青みが強くなる俺を気にする様子もなく、すぐるは慣れた手つきでキーボードを叩いていく。

『ヒナチー、まじ神!!!顔100万点』

『足の細さ憧れる、スタイル良すぎ』

『てか別に可愛くない笑顔ブスじゃね?』

『ただの事務所のゴリ押し、なまじ余裕があるだけ何も成長してない』

『吉岡ヒナタ嫌いww目に入るだけで不快。演技下手すぎw』

「人気者は辛いねぇ」

言葉とは裏腹に嬉しいそうに口角を吊り上げる。


「それよりも金を稼ぐ手段だが、ここにある竜胆モモのグッズを売り払えばいいだろ」

すぐるは部屋にある箱のまま飾られたグッズたちをスマホで写真撮影していく。

「これとかプレミアついてて高いぞ」

専用のサイトで画像検索でもしたのか嬉しそうに言ってくる。

「やめろ!!絶対に売らねぇ!それ転売サイトだろ!」

「いや、これはれっきとしたフリマサイトだ。個人の不用品を販売するのはOKなはずだ。それ以上、高値で売ったとしてもその後のことは知らないけどな」

いつものように斜に構えた口調でも転売行為だけは許せなかった。

「ふざけるな!!」

その言葉がすぐるの琴線に触れた。

「お前こそ、ふざけるんじゃねぇ!!!」


胸ぐらを掴まれた。

「危ない橋を渡ってんのはオレも同じだ」

勢いよく背中が壁に叩き付けられる。

「転売は出来ねぇって言っている場合じゃねぇんだ!」 

「手、離せよ」息が詰まる。

「これからもオレは何としても稼がなきゃならねぇ。悪魔に魂を売りつけるぐらいどうだっていいだろうが!」

グッと力を込められ足先が地面から浮く。

「人を信用できるお前は素直にすげぇと思うよ。でもその結果がこれだ」

その手から怒りが、悔しみが、痛いほど伝わってくる。

反論しようと開いた口から言葉が消えていくのが分かる。

俺のせいだ。

すぐるは巻き込まれただけに過ぎない。

俺の知るヒナタは小学校までだ。

中学に上がるころからヒナタは演技の練習で忙しくなり、竜胆モモに夢中になったことで更に溝が生まれた。

高校入学前に珍しくヒナタから相談事があると言われたことを思い出した。

しかしその日はモモの生配信だったこともあり、また今度。と断った。

それから、その今度はいつ果たしたんだっけ?

周囲が徐々にぼやけ真っ暗な景色に変わっていく。

俺は『大切な人』を大事にできていたのか?

人間関係を修復しないまま利益だけを求めた。それがこのザマだ。


部屋の静寂と共に唾を飲み込む。

「分かった。確かに言う通りだ。悪魔に……命を売ろう」

ヒナタもすぐるも悪くない。全ての責任は俺にある。

「すぐるは悪くない。気にするな悪いのは全部、俺だ」

すぐるは何も言わず手を離し、バツが悪そうに目を背けた。

解放された俺は崩れた襟元を整えながら、グッズの内の一つを取り出した。

「勘違いするなよ。俺が売るのはコレだけだ」

そして、自分のスマホを手に取り目的の画面をすぐるに見せる。

「田郎、これは―」

ブルーライトがすぐるのレンズに反射する。そこにはモモの公式SNSが表示されていた。

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ある日、消えたVtuberが実は俺のばあちゃんだった件について。④

すぐるは深く息を吸いこみ、感情のままに言葉を吐き出す。

「ひっっっっどいぞ!!これは」

西日が窓から差し込み、少しずつ人が減り始めた教室でその声はよく響いた。



ショックから立ち直ったあの日、俺はばあちゃんの家の遺品整理を自分だけでやらせてくれないかと申し出た。

両親に祖母がVtuberをやっていたなんて言えるはずもなく、理由を聞かれたが適当にはぐらかした。

両親は疑いの目でありながらも最後には、あきらめたのか応じてくれた。

どちらにせよ、祖母の家を取り壊すまで期間において換気のために訪問する必要があったからだ。


竜胆モモとして活動する以上に最適な場所はあそこ以外はあり得ない。

さらに祖母の家は高校と自宅の中間地点にあり、軽く寄れる場所なのも良かった。

どうしても自宅では、両親に気づかれる可能性が高い。

恥ずかしい話だが、泣き声が漏れていたくらいだったし。


何かを察したのか母さんは、家の鍵を渡す時に目配せしてきた。

「よく分からないけど、上手くやりなさいよ。あと、危険なことは必ず相談しなさい」

危険なことをするな。というよりも相談しろとは。

やっぱり、母さんにはかなわない。

鍵を受けとるとすぐに、ばあちゃん家にこもりきりで動画を作った。

そう、貴重な土日を費やしてまで…。

俺は溜息をつきながら、背もたれに寄りかかった。

「そう思うよな。それでも一番自信があったやつなんだけど」

人が少なくなったとはいえ、周りに気づかれないように声のトーンを落としながら話すが、すぐるの口からは悪態が止まらない。


「ボイスチェンジャーの設定が甘すぎる。汚い男の声が消えてねぇ。動きも硬いし、口調もなんか変だ」

「これは竜胆モモじゃねぇ。竜胆モモの真似をしている痛いオタク。お前のことだな」


そんなに言わなくてもいいじゃないか。こっちは徹夜で作ってんだ。

喉元まで出かかった愚痴を抑さえながら真剣に尋ねる。

「どうすればモモに見えると思う?」

すぐるは呆れながら椅子から足を投げ出すと、組んだ両手で頭を押さえた。

「んなもん。オレに聞いても分かんねぇよ」

「演技指導なら適任がいるじゃねぇか。お前の幼なじみさんとか」


すぐるの目線の先には、吉岡ヒナタがいた。

教室の壁に体を預け、暇そうにスマホの画面をスクロールしている姿は、それだけなのに絵になる。

女優の卵として活動中で、最近もドラマのオーディションに受かったとかで、クラスの女子達が噂しているのを耳に挟さんだことがある。

ヒナタとは小学生くらいまで家が近かく、また彼女の両親が共働きだったこともあり、祖母の家にもよく遊びにいっていた。


「女優なら確かに適任だな、ちょっと行ってくるわ」

「おい、冗談だよな。やめておけって」

ヒナタとは昔からの付き合いでよく知っている。義理堅い彼女のことだ。

快く協力してくれるに決まっている。

今の俺には時間がないのだ。

これ以上悲しむファンを増やさないためにも、一刻も早く竜胆モモの動画を出さなければ。

すぐるの制止を振り切り、ヒナタに駆け寄ると俺の影が彼女のスマホに落ち、顔を上げてくれた。

アーモンド型の大きな瞳がじっとこちらを見つめ、形の良い唇は薄く桜色に色づいている。

「どうかしましたか?白川君」

「女性になるコツを教えてほしんだ!!」

「やめろ!!バカ!!」

慌てて追いかけてきたすぐるの鋭い手刀が後頭頭に切り込まれる。

ヒナタは苦笑しつつ、肩まで伸びた艶やかな黒髪を耳にかけて優しく言った。

「よく分かりませんが、わたしにできることなら協力しますよ」

「まじ???吉岡さん天使かよ。ドラマで清純役を演じるだけあるわ」

「それで、具体的にわたしは何をすれば?」

「この動画を見て気になることがあれば指摘してほしい」


ウンウンと頷くすぐるを横目に周りに誰もいないことを確認してから、件の動画を見せる。


「…これってVtuberってやつでしょうか?中身は、白川君なのよね?」

「ああ!」

中身まで見抜いてしまうとは、流石は女優。

心強い味方を見たと興奮する俺は彼女の表情が陰り始めたことに気が付けなかった。

もう少しよく見せてくれる?とヒナタは俺の手元からスマホを素早く奪うと、動画のURLを自分のスマホにコピーした。

「やっぱり、気が変わっちゃった」

まるで人が変わってしまったかのような冷ややかな眼差しだった。

俺たちは思わず息をのみこんだ。

ヒナタは髪をかき上げ眉一つ動かさず、さきほどと同じ唇から言葉を紡いでいく。

「来週までに依頼料として20万円用意して。あたしの指導には20万円分の価値があるからできるでしょ。できなかったら、この動画拡散しちゃうから」

ヒナタは自分のスマホを顎先にあて挑発するように口角を上げた。

「女優のあたしが拡散したらこの子、どうなっちゃうんだろうね」

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ある日、消えたVtuberが実は俺のばあちゃんだった件について。③

窓から吹き抜ける風は涼しく心地よい。夏の空気を含んだものとは大違いだ。

強い風がカーテンが揺らすと、隙間からは日光が溢れる。

その眩しさに目が眩らんで目蓋を閉じれば、いつの間にか意識を手放していた。

この物語は大変不本意ながら、授業中の居眠りで注意されるところから始まっていく。

肩をトントンと叩かれ、身体がはねる。

ゆっくりと見上げれば、髪をワックスでぎちぎちに固めた数学教師が不気味なほどの笑みを浮かべている。

状況を瞬時に飲みこんだ俺は、身体中の血の気が引いていくのを感じた。

ピンと張り詰めた空気の中、前席の青年だけは必死に肩を震わせている。

俺は気恥ずかしさを感じつつも、速やかに行動を移したのだ。

授業終了のチャイムが鳴ると同時に腰を思い切り落とした。
硬くなった背中を労りながらさすっていると、前から聞き慣れた声がする。

「見事に立たされていたな」

先ほどの青年は後ろを振り向き、眼鏡越しにでも分かるほどニヤニヤと笑っている。

その口からはギザギザの鋭い歯がこぼれており、悪意のある表情はなんとも嫌みったらしい。

「うるさい。いつもならしない」

「そういえば、太郎にしては珍しいな」

このごろは、うだるような夏の暑さから解放され薄着でも過ごしやすい時期に移り変わった。
昨日の疲れと、今日の最後の授業だったこともあり、心地よい秋風に誘われるがまま、不覚にも微睡んでしまった。

「昨日は徹夜だったからな」

まだ重い目蓋をこすりながら、品定めするようにすぐるをじっくりと観察した。

堂田すぐる。

こんな風に軽口をたたきあう仲で、高校に入学した頃からの付き合いで2年ほどになる。

俺と同じブレザーの制服を着ているが、ネクタイもしていなければ制服のボタンも留めずに全開で、アングラな印象を受ける。

その見た目と言動から教師陣には煙たがれており、一緒にいる俺に向けていつも指摘が飛んでくる。

その都度、伝えてはいるのだがこの通り、一向に改善される余地がない。

お前のスケジュール帳に『身だしなみを整える』って予定をいれておけと皮肉を言ったら生憎、予定が一杯でね。と皮肉で返されたのは未だに覚えている。

正直、皮肉をサラリと返せるあたり、ちょっとだけカッコいいとか思ってしまった。

嫌味なやつだが、こいつにはアレがある。

「んだよ、気持ちわりぃからジロジロ見んな」

訂正する。嫌味なやつじゃなくて嫌なやつだ。

ともあれだ。アレなくして竜胆モモは完成しない。

どうしても計画に協力してもらう必要がある。

「そういえば、竜胆モモはもういいのか?毎日、死人みたいな顔だったじゃねぇか」

いつ切り出そうかと悩んでいたところに、思いがけない幸運が飛び込んできた。

膝におろしたこぶしを気づかれないように握りながら、言葉を選んでいく。

「よくはないけど、俺の話を聞いたらな、友達じゃなくなるかもしれん」

すぐるは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、呆れたように頬杖をつく。

「そりゃ結構。ちょうど、縁を切りたかったところだ。気になるから教えろ」

「お前とは友達でいたかったのにな。この動画を見てくれ」

わざとらしい言い方をしながら、机から自分のスマホを取り出してイヤホンを接続した状態で差し出す。

すぐるは訝しげな表情でイヤホンを耳にはめ、動画を再生した。

再生され始めた瞬間に、目を見開いてこちらを見たが、あえて何も言わなかった。

半分ほど見終えると無言で停止ボタンを押し、机の上にスマホを置いた。

眼鏡外して天井を仰ぎ、目頭を押さえている。

『ビジネスの基本はまずは笑顔から』のハウツー本を思い出しながら。

「協力してくれるよな」

咀嚼が終わったタイミングで、俺が同意を求めるように、ニッコリと笑って尋ねる。

すぐるは細い目で、ジッと憎らしそうにこっちを睨んできたが、当然俺は笑顔を崩さない。

散々、頭を抱えたり悶々と悩んでいたが根負けしたようで

「言いたいことは山ほどあるが、まあいい。ガワが変わろうとバレなきゃ問題ないだろ」

渋々ではあるが了承してくれた。

「今日からよろしくな。動画編集さん」

「こちらこそ、しっかり取れ高をつくれよ」

すぐるは配信サービスサイトに切り抜き動画をアップして、配信者やVtuberから同意の元に一部の収益をもらっている、いわゆる切り抜き投稿者だ。

その中で群を抜いた人気があったのが竜胆モモ。

モモが消えてしまったのは大きな打撃だったらしく、よくぼやいていた。

とはいえ、モモをいずれ引退させる理由は伏せておくことにする。

今、伝えたらショックが大きすぎて俺みたいに寝込んでしまうかもしれない。

「これでお前も共犯だ」

受け入れてもらったことに安堵しつつ、そう全てが上手くいかないのが人生。

俺は動画の続きをすぐるに再生するように指示した。案の定、嫌な顔をされる。

「毒を食ったんだ、どうせなら皿まで食えよ」

これはカッコいい言葉を言えたのではないだろうかと、すぐるを見ると、それどころではないといった様子で頭を抱え込んでいた。

「猛毒だな、これは」

そこには俺の竜胆モモが映っていた。