涼しくなってきた時期とはいえ今日は日差しがよく、歩けば内側から汗が滲み出る。
火照る体にまとわりつく鬱陶しさを感じ、クーラーをつけてその場に座り込んだ。
月曜日から木曜日までは金を用意するのは無理だと考え、祖母の家で公式アカウントのパスワード探索をしていた。
PCの暗証番号をメモしていたくらいだ。どこかには必ずあるはずだが、とうとう見つからなかった。
金曜日の今日はさすがに他の作戦を考えないと間に合わない。
すぐるの提案を受け入れ、俺の部屋で会議が行われていた。
「あの女、まじムカつく。オレの清純派美少女への憧れを返せ」
「黒髪ストレートは男子の夢だろうが」
月曜日から同じ内容の苦情を何回聞いただろうか。すぐるはヒナタに強い幻想を抱いていたようだ。
「お前はなんで落ち着いていられる? 裏切られたんだぞ」
「いや、昔はあんな感じだったんだし、俺としては逆に清純派と言われている方が違和感がある」
百合の花のようだとクラスメイトから比喩されている彼女だが、どちらかと言うと、どんな場所でも生き抜くタンポポがよく似合っていると思う。
ただ、状況は最悪だ。
青くなる俺の顔色ですぐるは察したように問う。
「その様子じゃ、交渉も失敗したんだろう?」
本日、期限延長の交渉をしたところ
「はぁ? そもそも女優からタダで技術を教えてもらおうなんて事がまかり通ると思った? 昔と何一つも変わってないんだ!」
「あたしは認めない。先生に相談して空き教室を借りる話はもうしてあるの」
「来週の月曜日の放課後、18時、3階の空き教室よ! 1秒でも遅れたら拡散するからそのつもりで」
横に目を側めながら、冷たく言い放つ彼女には取り付く島もなかった。
俺は一縷の望みにすがって尋ねた。
「そういえば吉岡ってどれくらいの影響力があるんだ?」
すぐるは自分のバックからノートパソコンを取り出し、操作して画面を見せた。
吉岡ヒナタのアカウントのフォロワーは約2万人。対して竜胆モモのフォロワーは世界中にいるため約70万人ほど。
国を跨ぐ規模ではないが、決して無視できる人数ではない。
デマだと周りが言っても、パスワードが不明な公式アカウントからは反論できない。
わずかな望みさえも粉々に打ち砕かれ、俺は絶望に打ちひしがれる。
「まぁ、今年になって急に人気の出てきた吉岡サンにはアンチも多いみたいだけどな」
より一層青みが強くなる俺を気にする様子もなく、すぐるは慣れた手つきでキーボードを叩いていく。
『ヒナチー、まじ神!!!顔100万点』
『足の細さ憧れる、スタイル良すぎ』
『てか別に可愛くない笑顔ブスじゃね?』
『ただの事務所のゴリ押し、なまじ余裕があるだけ何も成長してない』
『吉岡ヒナタ嫌いww目に入るだけで不快。演技下手すぎw』
「人気者は辛いねぇ」
言葉とは裏腹に嬉しいそうに口角を吊り上げる。
「それよりも金を稼ぐ手段だが、ここにある竜胆モモのグッズを売り払えばいいだろ」
すぐるは部屋にある箱のまま飾られたグッズたちをスマホで写真撮影していく。
「これとかプレミアついてて高いぞ」
専用のサイトで画像検索でもしたのか嬉しそうに言ってくる。
「やめろ!!絶対に売らねぇ!それ転売サイトだろ!」
「いや、これはれっきとしたフリマサイトだ。個人の不用品を販売するのはOKなはずだ。それ以上、高値で売ったとしてもその後のことは知らないけどな」
いつものように斜に構えた口調でも転売行為だけは許せなかった。
「ふざけるな!!」
その言葉がすぐるの琴線に触れた。
「お前こそ、ふざけるんじゃねぇ!!!」
胸ぐらを掴まれた。
「危ない橋を渡ってんのはオレも同じだ」
勢いよく背中が壁に叩き付けられる。
「転売は出来ねぇって言っている場合じゃねぇんだ!」
「手、離せよ」息が詰まる。
「これからもオレは何としても稼がなきゃならねぇ。悪魔に魂を売りつけるぐらいどうだっていいだろうが!」
グッと力を込められ足先が地面から浮く。
「人を信用できるお前は素直にすげぇと思うよ。でもその結果がこれだ」
その手から怒りが、悔しみが、痛いほど伝わってくる。
反論しようと開いた口から言葉が消えていくのが分かる。
俺のせいだ。
すぐるは巻き込まれただけに過ぎない。
俺の知るヒナタは小学校までだ。
中学に上がるころからヒナタは演技の練習で忙しくなり、竜胆モモに夢中になったことで更に溝が生まれた。
高校入学前に珍しくヒナタから相談事があると言われたことを思い出した。
しかしその日はモモの生配信だったこともあり、また今度。と断った。
それから、その今度はいつ果たしたんだっけ?
周囲が徐々にぼやけ真っ暗な景色に変わっていく。
俺は『大切な人』を大事にできていたのか?
人間関係を修復しないまま利益だけを求めた。それがこのザマだ。
部屋の静寂と共に唾を飲み込む。
「分かった。確かに言う通りだ。悪魔に……命を売ろう」
ヒナタもすぐるも悪くない。全ての責任は俺にある。
「すぐるは悪くない。気にするな悪いのは全部、俺だ」
すぐるは何も言わず手を離し、バツが悪そうに目を背けた。
解放された俺は崩れた襟元を整えながら、グッズの内の一つを取り出した。
「勘違いするなよ。俺が売るのはコレだけだ」
そして、自分のスマホを手に取り目的の画面をすぐるに見せる。
「田郎、これは―」
ブルーライトがすぐるのレンズに反射する。そこにはモモの公式SNSが表示されていた。