すぐるは深く息を吸いこみ、感情のままに言葉を吐き出す。
「ひっっっっどいぞ!!これは」
西日が窓から差し込み、少しずつ人が減り始めた教室でその声はよく響いた。
ショックから立ち直ったあの日、俺はばあちゃんの家の遺品整理を自分だけでやらせてくれないかと申し出た。
両親に祖母がVtuberをやっていたなんて言えるはずもなく、理由を聞かれたが適当にはぐらかした。
両親は疑いの目でありながらも最後には、あきらめたのか応じてくれた。
どちらにせよ、祖母の家を取り壊すまで期間において換気のために訪問する必要があったからだ。
竜胆モモとして活動する以上に最適な場所はあそこ以外はあり得ない。
さらに祖母の家は高校と自宅の中間地点にあり、軽く寄れる場所なのも良かった。
どうしても自宅では、両親に気づかれる可能性が高い。
恥ずかしい話だが、泣き声が漏れていたくらいだったし。
何かを察したのか母さんは、家の鍵を渡す時に目配せしてきた。
「よく分からないけど、上手くやりなさいよ。あと、危険なことは必ず相談しなさい」
危険なことをするな。というよりも相談しろとは。
やっぱり、母さんにはかなわない。
鍵を受けとるとすぐに、ばあちゃん家にこもりきりで動画を作った。
そう、貴重な土日を費やしてまで…。
俺は溜息をつきながら、背もたれに寄りかかった。
「そう思うよな。それでも一番自信があったやつなんだけど」
人が少なくなったとはいえ、周りに気づかれないように声のトーンを落としながら話すが、すぐるの口からは悪態が止まらない。
「ボイスチェンジャーの設定が甘すぎる。汚い男の声が消えてねぇ。動きも硬いし、口調もなんか変だ」
「これは竜胆モモじゃねぇ。竜胆モモの真似をしている痛いオタク。お前のことだな」
そんなに言わなくてもいいじゃないか。こっちは徹夜で作ってんだ。
喉元まで出かかった愚痴を抑さえながら真剣に尋ねる。
「どうすればモモに見えると思う?」
すぐるは呆れながら椅子から足を投げ出すと、組んだ両手で頭を押さえた。
「んなもん。オレに聞いても分かんねぇよ」
「演技指導なら適任がいるじゃねぇか。お前の幼なじみさんとか」
すぐるの目線の先には、吉岡ヒナタがいた。
教室の壁に体を預け、暇そうにスマホの画面をスクロールしている姿は、それだけなのに絵になる。
女優の卵として活動中で、最近もドラマのオーディションに受かったとかで、クラスの女子達が噂しているのを耳に挟さんだことがある。
ヒナタとは小学生くらいまで家が近かく、また彼女の両親が共働きだったこともあり、祖母の家にもよく遊びにいっていた。
「女優なら確かに適任だな、ちょっと行ってくるわ」
「おい、冗談だよな。やめておけって」
ヒナタとは昔からの付き合いでよく知っている。義理堅い彼女のことだ。
快く協力してくれるに決まっている。
今の俺には時間がないのだ。
これ以上悲しむファンを増やさないためにも、一刻も早く竜胆モモの動画を出さなければ。
すぐるの制止を振り切り、ヒナタに駆け寄ると俺の影が彼女のスマホに落ち、顔を上げてくれた。
アーモンド型の大きな瞳がじっとこちらを見つめ、形の良い唇は薄く桜色に色づいている。
「どうかしましたか?白川君」
「女性になるコツを教えてほしんだ!!」
「やめろ!!バカ!!」
慌てて追いかけてきたすぐるの鋭い手刀が後頭頭に切り込まれる。
ヒナタは苦笑しつつ、肩まで伸びた艶やかな黒髪を耳にかけて優しく言った。
「よく分かりませんが、わたしにできることなら協力しますよ」
「まじ???吉岡さん天使かよ。ドラマで清純役を演じるだけあるわ」
「それで、具体的にわたしは何をすれば?」
「この動画を見て気になることがあれば指摘してほしい」
ウンウンと頷くすぐるを横目に周りに誰もいないことを確認してから、件の動画を見せる。
「…これってVtuberってやつでしょうか?中身は、白川君なのよね?」
「ああ!」
中身まで見抜いてしまうとは、流石は女優。
心強い味方を見たと興奮する俺は彼女の表情が陰り始めたことに気が付けなかった。
もう少しよく見せてくれる?とヒナタは俺の手元からスマホを素早く奪うと、動画のURLを自分のスマホにコピーした。
「やっぱり、気が変わっちゃった」
まるで人が変わってしまったかのような冷ややかな眼差しだった。
俺たちは思わず息をのみこんだ。
ヒナタは髪をかき上げ眉一つ動かさず、さきほどと同じ唇から言葉を紡いでいく。
「来週までに依頼料として20万円用意して。あたしの指導には20万円分の価値があるからできるでしょ。できなかったら、この動画拡散しちゃうから」
ヒナタは自分のスマホを顎先にあて挑発するように口角を上げた。
「女優のあたしが拡散したらこの子、どうなっちゃうんだろうね」